玄米について学んでいくと栄養や炊き方だけでは説明できない世界があることに気づきます。日本では米が毎日の食事を支えるだけでなく祭りや祈りと結びつき食べることそのものにもさまざまな意味が見いだされてきました。
さらに近代になると食事と身体や暮らしの関係を考える食養が生まれ、その流れから玄米を重視するマクロビオティックなどの思想も広がっていきます。今回は玄米を「思想」という少し違った角度から米と日本人の精神世界・仏教や禅・食養・マクロビオティックそして現代の価値観までをたどり玄米と精神・哲学・宗教とのつながりを一緒に考えていきましょう。
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玄米が「思想」と結びついていく訳
玄米は稲から収穫した籾の籾殻を取り除いた米で糠層や胚芽を残しており、さらに精米すると白米になります。このように考えると玄米は米を加工する途中にある一つの状態にすぎないようにも見えますが時代が進むにつれて単なる食べ物としてだけではなく自然や生命あるいは人間の生き方を考える思想とも結びついていきました。
なぜ一粒の玄米が思想と結びついたのでしょうか。その背景を考えるためには玄米だけを見るのではなく米がどのように生まれるのかまで視野を広げる必要があります。稲は田んぼの土に根を張り水や太陽の光を受けながら成長します。季節が巡る中で穂をつけ、やがて収穫された籾から私たちが食べる米が生まれます。
つまり一粒の米の向こうには土・水・太陽・季節そして稲を育てる人の営みがあります。こうした自然と人間のつながりを身近な食べ物から考えようとした時、毎日の主食である米は象徴的な存在となりました。なかでも糠層や胚芽を残した玄米は米をできるだけ丸ごと食べるという考え方と結びつきやすい特徴を持っています。
近代になると食事と健康や暮らしの関係を考える食養などの思想が生まれ、その中で玄米が重視されるようになります。さらに後にはマクロビオティックなどにも受け継がれ玄米は自然と人間の関係を考える食べ物として語られるようになりました。
ただ玄米をどのように捉えるのかは時代や社会あるいは思想によって異なります。玄米を栄養のある食品として見ることもできれば日本の食文化として見ることもできます。そして一粒の米から自然や生命について考えることもできます。
玄米と思想の関係を学ぶことは「玄米を食べるべきか」を決めることではありません。人間が食べ物にどのような意味を見いだし自然や身体そして生き方について考えてきたのか。その長い営みを一粒の玄米から見つめていくことなのです。
米と日本人の精神世界
日本では古くから米が食べ物として利用されてきただけでなく祭りや祈りとも深く関わってきました。田植えから収穫までの稲作は人の力だけで成り立つものではありません。日照・雨・気温など自然の条件によって収穫が左右されるため人々は豊かな実りを願いながら稲を育ててきました。
その願いはさまざまな祭りや行事にも表れています。田植えの時期には豊作を願い稲が成長する過程では無事に実ることを祈り秋になれば収穫への感謝を表す。稲作の一年と人々の祈りが重なりながら日本各地にさまざまな農耕儀礼や祭りが生まれてきました。
収穫された米も日常の食事だけに使われたわけではありません。神前への供物として米や酒などが供えられてきたほか餅や赤飯など米から作られる食べ物も正月・祝い事・年中行事など特別な場面で用いられてきました。
春に種をまき田植えをして夏の田んぼを守り秋に収穫する。その営みを繰り返すことは自然の変化に合わせて暮らすことでもありました。人間が自然を完全に支配するのではなく自然の力を受けながら食べ物を得るという感覚も稲作を通して育まれてきたと考えることができます。
古くから行われてきた米にまつわる祭りや信仰のすべてが玄米を対象としていたわけではありません。玄米の背景にある大きな「米の文化」の中から玄米について考える必要があります。田んぼで育った稲が収穫され籾から米となり人の食卓へ届く。その過程には自然の恵みと人の働きの両方があります。
毎日食べる一膳のご飯と祭りの日に供えられる米。一見すると異なるものですが、その根には同じ稲があります。日本人が長い時間をかけて米に特別な意味を見いだしてきた背景を知ることは後の時代に玄米が食養や哲学あるいは生き方についての思想と結びついていく理由を考えるための入口にもなるのです。
仏教・禅と米を食べること
米と人間の精神との関係を考えていくと仏教や禅における食事にも一つの特徴的な考え方を見ることができます。仏教では食べることは単に空腹を満たす行為ではなく生命を支えるための大切な営みとして捉えられてきました。
その考え方が食文化として表れているものの一つが精進料理です。精進料理は仏教の教えを背景として発達してきた料理で寺院などでは野菜・豆類・穀類など植物性の食材を中心とした食事が作られてきました。日本では米もその食事を支える重要な穀物の一つとなりました。
禅の世界では料理を作ることや食事をすること自体も修行と切り離されたものではありません。鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元は食事についても多くの教えを残しています。「典座教訓」では寺院で食事を担当する典座の心得を説き「赴粥飯法」では僧侶が食事をいただく際の作法などを示しました。
そこには食材を粗末にせず料理を作ることにも食べることにも心を向ける姿勢を見ることができます。私たちの日常では料理を作る時間と食べる時間を別々に考えることがありますが禅の食事では食材を準備し調理し器へ盛り、いただき後片付けをするところまでが一つの営みとして捉えられます。
こうした考え方から見えてくるのは「何を食べるか」だけではなく「どのように食べるか」という問いです。一粒の米も田んぼで突然生まれるわけではありません。土・水・太陽などの自然条件があり稲を育てる人がいて収穫や加工そして調理に関わる人がいることで一膳のご飯になります。
食事を前にしてその背景へ目を向けることは自分の食事が多くのものに支えられていることを知ることにもつながります。朝には玄米粥をいただく宗派もありますが仏教や禅が玄米食を一律に教えてきた訳ではないようです。寺院の食文化と後の時代に成立する玄米食の思想は分けて考える必要があります。
ここで玄米を学ぶうえで注目したいのは仏教や禅そのものを玄米と結びつけることではありません。食べ物を粗末にしないことや食事に心を向けることなど人間が古くから「食べる」という日常的な行為の中にも精神的な意味を見いだしてきたことなのです。
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玄米と食養という思想
玄米と思想との関係がよりはっきりと見えてくるのが近代日本に生まれた「食養」という考え方です。その人物として知られているのが明治時代に活動した石塚左玄で食事と人間の身体との関係を重視し日々どのようなものを食べるのかということを暮らしや健康を考えるうえで重要なものとして捉えました。
その思想を理解するうえで特徴的なのが食べ物だけを切り離して考えなかったことです。人が暮らしている土地とそこで得られる食べ物との関係を重視し穀物を中心とした日本の伝統的な食生活にも目を向けました。また食物を過度に精製することへの疑問を示し米についても精白された白米より糠や胚芽などを残したものを重視する考え方へとつながっていきます。
ここで玄米は単なる一種類の食品という位置づけから少し変わってきます。籾殻だけを取り除き糠層や胚芽を残している玄米は米粒の多くの部分を残し水に浸したしておくと芽が出ます。その姿が食物をなるべく全体として捉えようとする考え方と結びつき後の玄米食をめぐる思想にも影響を与えていきました。
食養の考え方から後世に広く知られるようになった言葉の一つに「身土不二」があります。現在では自分が暮らす土地や環境と食との関係を表す言葉として紹介されることがあります。ただ現在使われている意味や言葉の成立過程には歴史的な変化があるため古くからまったく同じ意味で使われてきた訳でもないようです。
食養が興味深いのは「この食品には何の栄養素が含まれているのか」という現代的な栄養の見方とは異なる角度から食事を考えようとしたところです。食べ物・身体・土地・季節・暮らしなどそれぞれを別々に見るのではなく互いにつながったものとして捉えようとしました。その中で玄米も人間と食の関係を象徴する食品の一つとなっていきます。
もちろん石塚左玄の時代と現代では栄養学や医学に関する知識も大きく異なりますので当時の食養思想をそのまま現代の健康法として受け入れるのではなく歴史の中で生まれた一つの思想として理解する必要があります。それでも「人間にとって食べるとは何なのか」という問いは現在にも残っています。
玄米が思想と結びついてきた歴史をたどると一膳のご飯について考えることが身体だけでなく土地や自然そして暮らしについて考えることへと広がっていったことが見えてきます。そしてこの食養の流れは、やがて日本だけにとどまらず玄米を重要な食物として位置づける新しい思想へと受け継がれていくことになります。
玄米から広がったマクロビオティックの哲学
近代日本で生まれた食養の考え方は、その後さまざまな人物によって受け継がれていきました。その中でも玄米を重視する食の思想を日本から海外へ広めた人物として知られているのが桜沢如一です。
桜沢如一は石塚左玄などの食養思想から影響を受けながら独自の考え方を発展させ後に「マクロビオティック」と呼ばれる思想を世界へ広めていきました。マクロビオティックでは穀物を食生活の中心に置き玄米も重要な食物として位置づけられてきましたが、その特徴は単に「玄米を食べる」という食事法だけにあるわけではありません。
その背景には自然界や人間の暮らしを互いにつながったものとして捉えようとする考え方があります。その一つが「陰陽」でマクロビオティックでは東洋思想などに見られる陰陽の考え方を独自に食生活へ取り入れ食材・季節・調理方法などを一つの関係の中で捉えようとしました。
また「一物全体」という言葉も玄米と結びついて語られることがあります。食べ物をできるだけ丸ごと生かそうとする考え方で糠層や胚芽を残した玄米はその考え方を象徴する食物の一つとなりました。
さらに前章でも触れた「身土不二」もマクロビオティックの中で重視されるようになります。自分が暮らしている土地や気候と食べ物との関係に目を向け、その環境に合った食生活の考え方として広まっていきました。
こうして見ていくと玄米は「栄養があるから食べるもの」というだけではなくなっていきます。自然の中で育ったものをどのように食べるのか。食材をどこまで加工するのか。自分が暮らす土地と食事をどのように結びつけるのか。玄米という一粒の米を入口として食生活だけでなく自然や人間の生き方についても考えようとしたところにマクロビオティックの哲学としての特徴があります。
一方で陰陽などの考え方は現代の栄養学や医学によって食品の健康効果を判定するための科学的な基準とは異なります。マクロビオティックについて学ぶ際には、その思想や歴史的背景と現代の科学的知見を分けて捉えることが大切です。
ただ玄米を必ず食べなければならないということでもありません。ここで注目したいのは一粒の玄米からこれほど大きな思想が広がっていったことです。食べるという毎日の行為から自然・身体・土地そして生き方までを考える。玄米はその問いを世界へ広げていく象徴的な食物の一つとなったのです。
現代人は玄米に何を求めているのか
食養やマクロビオティックが広がった時代から社会は大きく変化しました。スーパーやコンビニには世界各地から集められた食品が並び外食・冷凍食品・レトルト食品など食事の選択肢も増えています。毎日の食卓と食べ物が作られる場所との距離は、かつてより見えにくくなった部分もあります。
そのような現代でも玄米は食べ続けられています。ただ玄米を選ぶ理由は一つではなく栄養成分に関心を持つ人もいれば白米とは異なる香ばしさや噛み応えを好む人もいます。さらに自然に近い食事を意識したり自分の暮らし方を見直したりする中で玄米へ関心を持つ人もいます。
ここには現代ならではの玄米と価値観との結びつきが見えてきます。農薬や化学肥料などについて一定の基準を設けた例えばオーガニック(有機)という考え方があります。そのような有機農業や有機食品は農業・環境・食のあり方を考える一つのきっかけとなっていて玄米を選ぶ人の関心と有機農業への関心が重なることはあります。
ヴィーガンなど植物性食品を中心とする食文化とも玄米は接点を持っています。玄米は穀物であるため植物性の食事にも取り入れることができ豆類・野菜・海藻などさまざまな食材と組み合わせられます。ただ玄米を食べることとヴィーガンであることは、それぞれ異なる背景や考え方を持っています。
そして近年では「丁寧な暮らし」やサステナブルな食といった言葉も聞かれるようになりました。食べ物がどこで作られたのか。どのような方法で育てられたのか。必要な量を買い、できるだけ無駄なく食べるにはどうすればよいのか。食事を自分の身体だけの問題としてではなく生産者・地域・自然環境との関係から考えようとする人もいます。
こうした価値観に玄米が関係していますが玄米という身近な食べ物が自分は何を選び、どのように食べ、どのように暮らしたいのかを考える入口になることはあります。かつて米は祈りや祭りと結びつき近代には食養が生まれ、その流れからマクロビオティックなどの思想も広がりました。
そして現代では一つの決まった思想だけではなく、それぞれの人が異なる価値観から玄米を選べる時代になっています。玄米を食べることに特別な思想を持つ必要はありません。それでも一膳の玄米を前にして、その米がどこから来たのか、どのように育ったのか、なぜ自分はそれを選んだのかと考えてみることはできます。
一粒の玄米から「食べる」という当たり前の行為を見つめ直してみる。その小さな問いの中に現代における玄米と思想との新しい関係があるのかもしれません。
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結わえる 寝かせ玄米ごはんパック
玄米は長い歴史の中で単なる主食としてだけでなく自然や身体あるいは食べることそのものを考えるきっかけにもなってきました。食養やマクロビオティックなど玄米と結びついたさまざまな思想を知った後に実際の一膳を味わいながら自分なりに玄米について考えてみるのも一つの楽しみ方です。
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あとがき|一粒の玄米から「食べること」を考える
玄米を単なる食べ物としてではなく、さまざまな意味を見出してきたことが伺えます。日本では長い間、米は毎日の食事を支えるだけでなく稲作・祭り・祈り・祝い事など人々の暮らしと深く関わってきました。田んぼに種をまき稲を育て実りを迎え、その米をいただく。
その繰り返しの中で人は自然の力を感じ、やがて食べることは身体を養うだけでなく人間がどのように暮らすのかを考えることにもつながっていきます。仏教や禅では食事そのものに心を向ける考え方が育まれ近代になると食養という思想が生まれました。
その流れはマクロビオティックなどへ広がり玄米も自然・身体・土地・暮らしの関係を考える象徴的な食物の一つとして語られるようになります。そして現代では玄米を選ぶ理由もさらに多様になりました。栄養に関心があるから。香ばしさや食感が好きだから。自然や環境について考えるようになったから。
あるいは昔ながらの日本の食事に魅力を感じるから。そこに特定の思想がなくても玄米を楽しむことはできます。一膳のご飯がどこから来たのか。その向こうにはどのような自然があり、どのような人の営みがあるのか。そして自分はなぜそれを食べるのか。
普段は考えることのない問いに目を向けてみると自分らしい食事との向き合い方が見えてきます。日本人が長い歴史の中で食べ続けてきた米。その一つの姿である玄米から自然・生命・身体そして人間の生き方へと思いを巡らせて、それも食事の一部とすることも食事の楽しみの一つとしてみてはいかがでしょうか。
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